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オリンピック
TOKYO1964【前代未聞!?驚異の視聴率!!】オリンピック・パラリンピック
29枚のメダル
当時を知る日本人には、忘れられない年になったことだろう。
1964年は、アジア初・有色人種国家で史上初となるオリンピックの開催が、日本の首都TOKYO(東京)で行われた年である。
この第18回夏季東京オリンピックは、敗戦国から先進国へと奇跡的な復活を遂げた日本が、国際社会の中心へ復帰したことの象徴として世界から注目を浴びた。
1960年代に次々と独立を遂げたアジア・アフリカ諸国の出場により、過去最高の出場国数となり、93カ国から5133人(男性4457人、女性683人)が参加し、20競技163種目が行われた。
メダル獲得数のトップはソ連で96個(金30・銀31・銅35)、次いでアメリカが90個、そこから大きく引き離して東西ドイツ統一チームが50個、日本が29個獲得した。
瞬間視聴率、驚異の85%!!
東京オリンピックでは柔道とバレーボールが正式種目として新たに加わった。
柔道は日本が無差別級を除く3階級を制覇し、バレーボールは「東洋の魔女」と呼ばれた日本女子が金メダルを獲得した。
当時のことを国内では「テレビオリンピック」とも呼び、オリンピックが白黒テレビからカラーテレビに移行するきっかけと言われている。
女子バレーボール決勝戦の視聴率が85%に達したことからも、当時のオリンピックの熱狂振りは一目瞭然である。
障害者の差別感払拭に向けて。。。
その約1ヶ月後には、東京パラリンピックも開催された。
当時のパラリンピックは2部構成で、国際車いす大会と、全身体障害者を対象とした国内大会(特別参加の西ドイツ選手を含む)があった。
22カ国から375人の選手が集まり、9競技144種目が行われたが、当時はまだオリンピックとの大きなギャップがあり、資金難や準備不足に苦しみながらの開催であった。
メダル獲得数のトップは、アメリカの122個(金50・銀41・銅31)、日本は9個。
しかし日本人選手の活躍は、国内にあった障害者への差別感を解消するきっかけにもなり、障害者の自立とより良い生活のために、義肢装具などの開発が進むこととなった。
ライター名:高階 萌 TOKYO+