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長野1998【大健闘!見せた!Japanese Power!】オリンピック・パラリンピック

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ドイツに次ぐ世界第二位のメダル獲得数

長野今年、若手の大奮闘で注目を浴びたソチオリンピックから、16年前。

1998年2月、長野県長野市など5市町村を舞台に、第18回冬季長野オリンピックが開催された。

1972年に行われた札幌オリンピックに続き2度目の日本での開催、

20世紀最後のオリンピックでもある。

72カ国から2302人(男性1488人、女性814人)の選手が集まった。

メダル獲得のトップはドイツで29個(金12・銀9・銅8)、日本は10個(金5・銀1・銅4)。

7競技68種目の選手たちの活躍を一目見ようと、各国から足を運んだ観客は延べ144万2700人。

劇団四季の浅利慶太さんが総合演出を務めた開会式では、

善光寺の鐘の音から始まり、御柱の建御柱や大相撲幕内力士・横綱曙の土俵入りが行われた。

小澤征爾が指揮する演奏・合唱は、

観客と選手を含む全員参加というオリンピック史上初の演出であった。

 パラリンピックでの活躍と認知の広がり

長野2同じ年の3月には、アジア初開催の冬季長野パラリンピックも開催された。

パラリンピックは、主に肢体不自由の身体障害者や視覚障害者を対象とした競技大会であるが、

長野パラリンピックでは、知的障害者が初めてノルディックスキー距離競技への参加を認められた。

(しかし、次期の夏季シドニー大会で、

スペインが健常の選手を潜り込ませ金メダルを取ったことが発覚し、

再び知的障害者は排除されている)

32カ国から571人(男性448、女性123人)の選手が集まり、5競技34種目が行われた。

メダル獲得のトップは、こちらもドイツで44個(金14・銀17・銅13)、

日本はドイツに次いで41個(金12・銀16・銅13)の大健闘であった。

今まで日本のメディアでほとんど取り上げられず遠い存在だったパラリンピックが、

長野パラリンピックからは積極的に報道されるようになった。

また、日本選手団のユニフォームのデザインが、

オリンピック選手団とパラリンピック選手団で統一されたのも長野大会からであり、

国内開催が日本の障害者スポーツの認知度を高めるための大きな一歩となった。

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ライター名:高階 萌 TOKYO+